或阿呆の日記

某月某日

宮沢ヨン治(写真)のもらい手が決まって一安心である。

猫を飼える人はそう多くない。

この先の20年を付き合っていく覚悟がなければ猫は飼えないからだ。

ちなみに私は村上春樹の顔も文学も嫌いであるが、村上が布団屋の娘と結婚するさい飼い猫を捨てようとする話を読んで決定的に嫌いになった。

ピーターとかいうスカした名をつけ「彼」なんて呼んでしまう猫との距離感に虫酸が走るのだ。

彼にとっては人も猫も「僕」とかいうぼやけた主人公の観察対象にすぎず、そこに愛とでも呼びうるような、自我をもって他者の自我に迫ろうとする情念はどこにもない。

その対極にあるのは荒木経惟である。

「センチメンタルな旅・冬の旅」は妻との新婚旅行から死別までを辿る写真集であるが、そこでは彼と妻と愛猫が溶け合うほどの濃密な距離感が描かれる。

荒木自ら「私写真」とよぶ彼の距離感の近さは、見る者が傍観者に留まることを容認しない。

かくして第四の被写体として写真の世界に引きずり込まれた者は、頁をめくるたび荒木の感情に刺し貫かれる。

写真集は荒涼としたバルコニーに雪が積もるなか、無心で跳ね回る愛猫の姿で頁が閉じられる。

そこには喪失の苦痛や索莫たる世界を引き受けながら生きなければならない人間というものの宿命が提示される。

それに較べたら、愛も死もその一切が電車の窓から眺める薄ぼんやりとした田舎の風景みたいに描かれる「ノルウェイの森」など話にもならないのである。

某月某日

「まずストレッチで柔軟性を高めないと、筋トレをしても怪我をしますよね?」

カウンセリングでストレッチ愛好家の女性から同意を求められたので「意味が分からない」と答えた。

なぜなら筋力トレーニングそのものが「重りを用いたストレッチ」だからだ。

たとえばスクワットをすると胸から肩・腰・臀部・大腿・下腿まで一斉にストレッチされる。

そこに重りが乗れば然るべき部位に強いストレッチがかかり、柔軟性はより効率的に向上する。

そのうえ筋力トレーニングは「筋力を伴った柔軟性」を高めるから、運動能力を向上させ関節の障害を予防する高い効果が期待される。

むろん言うまでもなく「柔軟性の評価を踏まえた適切なプログラムと技術」で実行されることが前提となる。

すなわち筋力トレーニングの安全はストレッチにより担保されるのでなく、筋力トレーニングそのものの正しい実践によって担保されるのである。