或阿呆の日記

某月某日


オンライン指導が好評で、ひと安心である。

先日は自宅からオンライン指導を行った。

自宅にもダンベルとバーベル、ベンチに懸垂台など、指導に必要な器具は一通り揃えてあるのだ。

庭先で蚊を払いながら重量挙をやっていた時期もあった。

さてオンライン指導は、バイロイトの舞台に立つワーグナー・テノールのように大げさな発声と動きで行わなければならない。

ボソボソやっていると、小さな画面越しでは辛気臭くしみったれた素人芸に見えて何も伝わらないからだ。

おかげで1セッションを終えるだけで喉は枯れ、画面越しのクライアントと共に滝のような汗をかく。

けれどもこうした共苦の体験は、部活の夏合宿みたいで悪くないのである。

某月某日


威張り腐った老人の営む不潔な歯医者で感染症をもらったようだ。

ずっと体調が良くない。

とかく威張りたがる歯医者は少なくない。

患者は、かれらの機嫌を損ねて痛くされないだろうかと下手に出る。

歯医者の職員も、かれらの機嫌を損ねて首にされないだろうかと下手に出る。

こうして彼らは、自分が何か偉いものになったと錯覚していく。

「俺は名医だ、なぜなら俺は名医だからだ、だからこいつらは俺より下だ」という愚かな循環論法に陥り、どんどん劣化していく。

これはトレーナーにもいえる。

トレーナーとクライアントには、指示する側とされる側に権力勾配が生じる。

「オレ(アタシ)がスゴいからクライアントがくるのだ」と認知の歪みを生じやすいのだ。

そうならないためには、とにかく勉強して勉強して、カビのような自惚れを解毒することだ。

毎日毎日本を読んで、俺はこんなことも知らずにいたのか、と冷や汗をかき続けるのだ。

エゴを捨象して、意識をすべてクライアントに向けるのだ。

こうした日々の営為なくして、私たち小人が正気を保ち続けるのは困難である。