トレーニングという特技

”ひとりで生きるには人は獣か神でなければならないとアリストテレスは言っているが第三の場合が欠けている。すなわち人は獣と神、その両方でなければ-哲学者でなければ-ならない(偶像の黄昏)”


あなたの趣味は何でしょうか。

映画鑑賞、旅行、食べ歩き。

筋トレなんかもいいですよね。

ではあなたの特技はと尋ねられたら、何と答えますか。

ちょっと口ごもりますよね。

特別な技能(Special Skill)というからには、少なくとも「普通の人にはない何か」である必要がある。

さて特技といって私が思い出すのは、大学時代の重量挙の一人の先輩です。

当時で五十をとうに過ぎた小柄な白髪頭の彼は重量挙では五輪に出場し、大学に勤めながら数学の講義を持ち、五ヶ国語を話す人でした。

とみに彼の教養の厚みには圧倒され通しでした。

芸術から思想まで全てにおいて博識で、知らないことなど無いのではないかと思わされるほどに。

「勉強もスポーツも頑張って文武両道だ」的な、チンマリとした処世的価値観とは別次元の存在です。

専門知識もほどほど、スポーツもほどほど、的な人ならそこいらに掃いて捨てるほどいます。

彼が特別であったのは、関心を抱いた一切が特技に化けてしまったところにあります。

そこには趣味も特技も突き抜けた、彼という存在があるのみです。

そんな彼にとっては日常など退屈に過ぎたのでしょう、数年して大学を早期退職するや海外に移住してしまいました。

夏の暑い日、湘南にある彼の住まいに伺った記憶が昨日のことのように思い出されます。

替えのきかない自分であるために

さて彼のような怪物でなくとも、私達が特技(普通の人にはない何か)を持つ方法はあります。

それは普通の人がやらないことを徹底的にやり込むことです。

先日、居合を修行なさっていたという女性会員の方に木の棒を振ってもらいました。

そこには素人目にもそれと分かるほど、人を斬るという生々しくて特別な技術の姿がありました。

普通の人にはない、生々しくて特別な技術。

それはヨンデーがトレーニングに対して求めるものでもあります。

特技といいうる領域に踏み込むトレーニング。

それはたんなるボディメイクにはない、重量挙の生々しい身体操作と速度と緊張のあるトレーニングであること。

またユルい健康エクササイズにはない、実効性を求めたトレーニングであること。

ただ見てくれを変えるだけのトレーニングなんて陳腐かつ退屈な趣味にすぎません。

趣味を踏み越えた濃度のトレーニング体験を通じて、特技と言いうる特別なトレーニング観を獲得して頂きたい。

その先には普通の人ではない、他ならぬ特別な自分が在るはずだとヨンデーは考えています。

エッセイ

前の記事

桃尻男