文章のトレーニング

私はSNSを見ません。

そこには文章などなく、ただただ空疎な写真と幼稚な言葉が散乱しており、まるでゴミの山に投げ込まれたような気分になってしまうのです。

文章には、知性や性格、人生観など、その人のすべてが現れます。

まして電話が廃れ、メールという「書き言葉でのやり取り」が人と人とをつなぐ主要な手段となったいま、端正かつ魅力的な文章をつくる能力はその人に特別な価値を付与してくれます。

幸いなことに、文章をつくる力はトレーニングによって高めることができます。

本稿では、文章を書く「技術」以前にある、三つの心構えから紹介しましょう。

一)伝えるべきものを伝えようとする情熱はあるか

本多勝一は「書かずにはいられない切羽詰まったもの」があれば、それは名文になる、と述べています。

文章を書く上で必要なものは、小手先のテクニックなどではないのです。

ラブ・レターをもらったり、書いたりした時のことを思い出してください。

伝えずにはいられないものを伝えようとする、あの感情です。

情熱のない文章に、特別な力が宿ることはありません。

二)文章を書くことへの真剣さはあるか

三島由紀夫は無償で書籍の推薦文を頼まれたとき、手元のタバコの銀紙を開いてメモ代わりにすると、その小さな紙片を前に無言で熟考を始めたといいます。

文章家には、どれほど軽く短い文章であっても、一字一句をゆるがせにしない真剣さがあるのです。

私は三島由紀夫の文章が好きです。

必然性のある言葉だけが選び出され、整然と配列された文章は、読み手に安易な流し読みを容認しません。

文章というものは、常に全力の真剣さをもって書かれなければならないのです。

三)相手を喜ばそうとする心の美しさはあるか

”誰か僕の墓碑に、次のような一句をきざんでくれる人はないか。
「かれは、人を喜ばせるのが、何よりも好きであった!」
僕の、生まれたときからの宿命である。俳優という職業を選んだのも、全く、それ一つのためであった。ああ、日本一、いや、世界一の名優になりたい!そうして皆を、ことにも貧しい人たちを、しびれる程に喜ばせてあげたい。(「正義と微笑」太宰治)”

文章というのは人に向けて贈られるものです。

何を贈ったら「しびれる程に喜」んでもらえるだろうか。

受け取り手のことを幾重にも幾重にも、真剣に想いながら言葉を紡いでいくこと。

そうした想いの込められた文章は、受け取り手の心の中でぱっと花を咲かせるのです。

美しい花をつくろう

心構えが分かったら、あとは毎日、美しい言葉を書くトレーニングをしましょう。

そういえば、いまはなき祖母も父も、毎日欠かさず日記をつける人でした。

文章とは、その人が生きた日々の足跡です。

言葉で花を咲かせる試みです。

最後の時に、振り返ったら美しい花が道をなしているような一生だったら素敵だと思いませんか。