或阿呆の日記
某月某日
”希臘人は外面を信じた。それは偉大な思想である。キリスト教が「精神」を発明するまで、人間は「精神」なんぞを必要としないで矜らしく生きていたのである。(アポロの杯)”
最近、過体重の若い人の入会が続いている。
本当に良いことだと思う。
外面が全てではないけれど、過度の肥満は人生において損である。
なぜなら同性には「人間関係から降りちゃった人」とうつり、異性には「恋愛市場から降りちゃった人」とうつるからだ。
それは人生から様々な機会を奪う。
まして若い人こそ外面の影響は大きい。
たかが外面、されど外面である。
某月某日
トレーニングにおいて成長が鈍化した状態をプラトーという。
力の成長曲線が登山のような右肩上がりでなく、高原(plateau)のように平坦な状態となることをいう。
私もプラトーの住人となって久しいが、山巓の景色を見たいという野心はいまだ捨てられぬ。
ゆえにトレーニングでは必ず目標を定めて臨む。
最近の課題はもっぱら脱力である。
万事において力みが良い結果をもたらすことはない。
猫を抱き上げるみたいにやさしく、暴れさせずバーベルを胸まで運べたらいい。