或阿呆の日記
某月某日
いつ以来だろう、久々にスクワットをやった。
3~40分の空き時間にバタバタと鍛えるのが精一杯ないま、「台を調整し、丁寧にアップし、集中してメインセットに臨み、適切な休息も入れて」なんてぜいたく種目と戯れる暇がないのだ。
代わりに行っているのがデッドリフトである。
重りを足しつつ床からバーベルを引いていけば済むから、ウォーキングランジのような補助種目を入れても30分でお釣りが来る。
そもそもトレーニングには”優劣”があり、それは「目的×方法×効率」で評価しうる。
私を例に取れば、
・目的…重量挙用の脚筋力を維持する
・方法…重量挙に転移可能な技術で行う
・効率…補助種目も込みで短時間で完結させる
という風になる。
この3要件の見立てを誤らない限り成果は見通せるし、予期を下回った場合も修正が効く。
こうした思考法はヨンデーのトレーニング指導の根幹をなすものでもある。
多忙な中を通って下さる会員の方に優れたトレーニングを手渡すこと。
それは専門職の能力そのものであるから、実効性の検証を自らの身をもって行わなければならない。
某月某日
「これって日本語だよな…?」
はるか昔、真夏の図書館ではじめてこの書物に登攀を挑んだとき、思わず呟いた。
ハイデガーが何を言わんとしているのか、皆目見当もつかぬ。
章の終わりに付記される膨大な解説を読んでも尚更分からない。
翻訳を変えても何も見えてこない。
意味を探るのを諦めて音読してみたが、私の眼前には存在の驟雨とやらが到来する気配すらない。
当時の私はただ脂汗を流しつつ、言葉の崖にしがみつくだけだった。
あれから時間が経ち、読まなければならない書物を考えたとき、これしか思い当たるものはなかった。
今の私に崖をよじ登るような読書に耐える力が残っているとは思えない。
けれどこの書物を克服しない限りケリが付けられないものがあるのも事実なのだ。