或阿呆の日記
某月某日
「筋トレなんて大嫌いだけれど痩せたい」
「やれと言われたことはやる。だから私を痩せさせなさい」
そんな方がヨンデーにお見えになった。
筋トレが嫌で、やれと言われた事はやる。
ならば答えは簡単だ。
「晩飯を抜いて毎晩1時間走れ」である。
たかだか腹を引っ込める程度のことにウェイトトレーニングの手を煩わす必要などない。
某月某日
パーソナルトレーナー募集への問い合わせを早速何件か頂いている。
嬉しい一方で気にかかるのは、フィットネスクラブのトレーナー経験者の多さだ。
トレーナーといってもフィットネスクラブとパーソナルジムでは意味が天と地ほど異なる。
フィットネスクラブではマニュアル通りに筋トレマシンの操作方法を教えるのが「トレーナーの指導」である。
対するパーソナルトレーナーの場合、ニーズ分析・リスク評価・各種テストと評価を経てプログラムを検討してから、ようやく指導に着手する。
なぜならこうした手順を踏まないと成果が見通せないばかりか、顧客の身体を壊しかねないからだ。
壊さないギリギリのところにある高い成果を追うのがプロの手腕である。
その意味でトレーニング指導者が自分の身体を実験台として鍛え壊すのはむしろ好ましくさえあるが、指導において他人の身体を壊すことだけはあってはならない。
指導なんて言えばカッコ良く聞こえるかもしれないけれど他人の身体を鍛えるってことはものすごく怖いことなのだ。
こう考えてくると、いまトレーナーを募集することの是非を考え直さざるを得ない。
プロを志す方に機会を分与したいのは山々なのだけれど、それは果たして今なのだろうか、と。
某月某日
仕事終わりに片道1時間半かけて通ってくる50代の男性会員がいる。
大柄で頑強なスポーツマンだった彼も数年前に病を得て過体重に陥り、身体には運動障害が残った。
汗を流しながら息を荒げ、表情を歪めてバーベルと格闘する。
バーベルは正直な器具であるから、ごまかしのない操作を行う限りにおいて私達の欠点を明確に伝えてくれる。
「ここの力が弱いな」
「この動きができない理由を考えたらどうだ?」
と。
それゆえ過去に運動が得意だった人ほど、トレーニングで伸びないことが多い。
バーベルが発する否定的な声を聞いてしまうと(スポーツが得意なはずの)自分を否定されるようで不安になるのだろう。
最初、彼にもそんな感じはあった。
けれど最近になり、徐々にバーベルの声を聞くようになって雰囲気が変わってきた。
なぜなら彼は明確な「こう在りたい」があるからだ。
改善を試みる上で問題点を特定するのは不可欠であり、それにはバーベルに教わるのが確実である。
彼は着実に、あるべき自分を取り戻していくだろう。
「昔のオレはどうたらこうたら」なんて弱虫の強がりほど食えぬものはない。
そんな繰り言を並べる暇があったらバーベルを握ればいいのだ。
私自身、トレーニングするたびバーベルにこう言われるような思いがある。
「言い訳はもういいから、さっさと俺を挙げてみせろよ」と。