祝祭としてのトレーニング
”幸福ではない。断じて幸福ではない。快楽だ”(オスカー・ワイルド)
バーベルの前に立ち、しばし集中する。
二、三歩歩いてバーベルに近付き、足幅と立ち位置を調整する。
膝を少し曲げシャフトに掌を巻きつける。
腰を落として姿勢を定める。
目線を決めて一呼吸のち、バーベルを爆発的に引きはじめる。
ダイエットに励む女性も。
体力づくりに務める年配の男性も。
ヨンデーに通う全ての方は、すべてバーベルの前で真剣な眼差しで緻密なシーケンスを組み立てます。
一人の例外もなく!
日常を超えた時間
ヨンデーではバーベルを介して自身と対峙する濃密な時間を体験していただけます。
ジムにはダラダラとスマートフォンをいじる人の姿はありません。
肩をいからせてこれ見よがしに歩き回る男性もいません。
人の噂話を楽しむ女性達の姿など影もない。
ただ限界まで集中して、目前のバーベルを緻密な身体操作によって操る。
それだけです。
こうした「当たり前のトレーニング」を必死で遂行する間に一時間など瞬時に過ぎていきます。
没我的な祝祭
ヨンデーは本来トレーニングとは野蛮で、熱狂的で、没我的であるべきと考えます。
そう、ギリシャ時代のデュオニソス祭のように。
保身的で臆病な、我々の過ごす日常の延長にある、ただ安全なだけのしみったれた筋肉体操など何の値打ちがあるのかと思います。
技術と覚悟をもって危険の中に遊ぶからこそトレーニングは面白く、また退屈な日常へのカウンターたりうるのではないでしょうか。
冒頭に牽いたワイルドの言葉を借りるなら、こんな風にいえます。
”トレーニングは日常ではない。断じて日常などではない。祝祭だ。”と。