或阿呆の日記

”生ーわれわれにとってそれは、われわれが在るところの一切を、不断に光と炎に変えること、にほかならぬー(悦ばしき知識)”

某月某日

物事を為すうえで、モチベーションというやつほど有害無益なものはない。

モチベーションなど畢竟、感情の一形態に過ぎないからだ。

感情というのはマッチの火のようなもので、燃え上がった瞬間に消えてしまう。

そんな低次の生理反応を用いて為しうるものなどたかが知れている。

芸術であれ学問であれ仕事であれ、価値あるものを創造するには時間がかかる。

だから人間は意志ー感情に左右されることなく心に炎を燃やし続ける装置ーを創造しなければならなかった。

これは身体づくりにおいても同じことがいえる。

受苦と引き換えに在るべき自身を創造していく、こうした高度に意志的な行為にあって、モチベーションとかいう夜店の玩具に出る幕など無いはずなのだ。

某月某日

同じようにトレーニングと食事を頑張っているのに、ダイエットが上手くいく人とそうでない人とがいる。

この、私をずっと悩ませてきた問題の答えの一端がようやく見えてきた。

上手くいかない人は、決まって、わずかな休憩時間さえ椅子に座ってしまう。

立っていられないのだ。

むろんクルマで通勤して1日中デスクワークをし、暇さえあればスマホを見て過ごす「立っている暇もない」ほど忙しい時代にあっては無理からぬことではある。

けれど、もし運動によって身体をあるべき姿に変えようとするなら、まずは立つことから始めなければならない。

座りがち(sedentary)な生活は喫煙や暴飲暴食なみに命を危険に晒す行為であると言われて久しい通り、私たちの身体は立って動くことに最適化されている。

立つことは運動の基礎である。

立てるからこそ歩けるし走れるし、踊ったり飛び跳ねたりもできる。

そもそも立つこと自体が筋力や筋持久力・平衡性を要する高度な運動であるといえる。

身体を変えるための第一歩は、まず立つことにあったのだ。