運命のクルマ選び

平家物語に「一樹(いちじゅ)の陰に宿り逢ひ、同じ流れをむすぶも、皆これ先世の契り」という一節がある。
旅先で偶然に行き逢った人と樹の下で一休みし、川の水をすくうような些細な出来事も、すべては前世からの取り決めであるというのだ。
こうした生起する一切を必然とする思想を運命論という。
而して私は運命論者である。
父方から継いだ「霊的な感覚」のせいか幼時から既視感が強く、運命の存在など当然のものとしか思えないのだ。
さて先日、不愉快な人災によってクルマを失った。
天は彼らの身にも等量の厄災をふりかけることになるが、それも運命である。
とりあえず移動手段を調達しなければならない。
某月某日

クルマ探しは難航した。
納期のかかる新車は買えないが「霊的な感覚」のせいで中古車も買えない。
クルマにもいろいろ憑くのである。
そこで未使用車を狙うことにした。
未使用車とは「書類上は中古車となる新車」なので納期は短く、遠方から取り寄せてもハズレを引く可能性は低い。
さて当初は300万円の予算で探したが、どうもピンと来ない。
惚れたクルマに500万円ならまだしも、とりあえずのクルマに300万円は高すぎるのである。
そんな折、1台の軽自動車が目に止まった。
考えてみればクルマは通勤以外に使わないし、ターボ・エンジンを搭載する四輪駆動車なら実用上も申し分がない。
何より車庫証明がいらないから、普通車より1週間早く手に入る。
ためしに価格交渉をしてみると、予想外の好条件が引き出せた。
これも運命だろうと、すぐさま購入を決める。
某月某日

かくて酷暑の中でのクルマ探しは終わった。
この間、クルマ関係の人だけでなく医者や弁護士に相談したりと、様々な業界人の仕事ぶりを垣間見てきて、結局生き残るのは余裕を備えた人だと確信するにいたった。
忙しいからといって、その気忙しさを表に出すような人は間違いなく能力が低い。
なぜなら、どれだけ多忙な状況下であっても、冷静に洞察力と判断力を駆使できる余裕を持てなければ、プレッシャーで自滅する運動選手の如く決定的な失敗を犯すからだ。
つまり多忙な中にあって常に最良の知性を保つには体力が要り、体力をつけるには運動が要る。
国内外を忙しく飛び回る研究職の彼もまた、寸暇を縫って勤勉にトレーニングに励む一人である。
体力があれば、仕事にも運命の助けがあるかもしれない。