ジムができるまで⑧

ジムには大型の本棚を備え付けたいと考えている。
トレーニングの専門書籍だけでなく古典文学から絵画まで、幅広く揃えたい。
芸術を語れる人を引き寄せたい。

そうして「バーベルと芸術の融合」をめざしたい。

本棚と上腕二頭筋は、大きければ大きいほどよい

筋トレの弱点

筋トレに決定的に欠けているもの、それは共感性である。
筋トレ「だけ」では、どうしても自己愛の肥大にブレーキがかからない。
肥大しすぎた自己愛は、共感性の快というべき「rapport(ラポール)=よい雰囲気」の成立を阻む。

筋トレに頭の天辺まで浸ると、自分の筋肉を通して世界を見るようになりがちだ。
そこにあるのは共感とは正反対のもの、嫉妬とか、怨嗟とか。

ジムで、細い男が自分より身体の大きな男に憎しみのこもった視線を向ける風景は珍しくもない。
少し力が強くなった程度で、尊大な態度を取る男も掃いて捨てるほどいる。

その挙げ句、同じレベルで固まって馴れ合いと敵視で連帯を始めてしまう。
共感とは程遠い、同病同士の相互依存のようなものだ。

こうした女々しさこそ自己愛の病であり、筋トレの世界の貧しさである。
仲人業を営んでいる女性の、お見合いに関する記事を読んでいたらこんな一文があった。
お見合いで苦戦する男性のプロフィールを見ると、大抵”趣味は筋トレ”と書いてある」と。
さもありなん、である。

共感能力と想像力が全てである恋愛において、自己愛なぞ邪魔でしかない。

芸術の素晴らしさ

その点、芸術は圧倒的に素晴らしいもの、美しいものへの陶酔を告白すれば共感性を自ずと帯びることになる。
薄暗い自己愛が這い出してくることもない。
芸術を体験した感激や素晴らしさを口々に語り合えば、アルコールなどに頼ることなく陶酔を分かち合うことができる。

歌舞伎の魅力、ロシア文学のスケール。
モーツァルトの華やかさか、はたまたワーグナーの濃く重い世界か。

高いもの、美しいものを求める芸術への眼差しは、筋トレの自家中毒的な自己愛という病を解毒してくれる。
ただし、共感するには最低限共有できるだけの芸術体験が要る。

筋トレの価値を高めるために

筋トレは素晴らしい。
健康を増進し、気力を充溢させる。
けれど、そのゴールが単なる力自慢・能書き自慢・体自慢というのではあまりにもお寒い。
そこに芸術の宇宙的な広さに触れるきっかけを提示できれば、矮小な自己愛を脱して「自他の肯定の世界」に進めるかもしれない。
結果として(これまでのジムには期待し得なかった)健全なコミュニティが生成されうる。

ロシア・コスミズムの祖であるニコライ・フョードロフを標榜するなどと大言壮語するつもりもないが、
筋トレだけでなく、何かそういう高いものを志向する人を惹き寄せる磁場でありたいとは思っている。